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現実は単なる二度寝の夢

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単純な思考

 誕生日を一日過ぎて
さっそく「大人の権力」を行使しに近くの小学校へ選挙投票へ。
終了時間5分前に駆け込み、すごく熱心な雰囲気をかもしだす俺。
とか言いつつ投票用紙には「いません」とか書いて子供っぽいことをする俺。
日本の行く末を案じるほど、大人ぶれない。




梅雨の季節の割にはすごく平和だなあと思っていたけれど
ついに先程ぶっ壊れました。
自分の行動を客観視することは好きだけれど
いきなりすぎて少しあせった。

ぶっ壊れたといっても、決壊したような感じ。
ひとり蹲って泣き啜りました。
いつまで経ってもひとりで。
枕抱えてぐしゃぐしゃと。

あ、具体的には何も書きません。世の中の60億人の僕のストーカーの皆様には申し訳ないけれど
今ある僕の身の回りの些細な事々については一切触れない。
ただまあ。ダメだなあと。


色々と反省すべき点はある。
けれどそれを反省したところで次に活かすことは出来ない。
なぜなら「始めないこと」が唯一の対策と成り得るから。
近寄らず、触れず、考えず、思わず、言えず。

人間としてダメだなあ。
ぽへえ。ってなわけ。



きっかけは小さなこと。
ある叱責が全ての物事を無理やり結びつけて(こじつけて)
頭の中で勝手にリンクしあって肥大した状況が脳みそを揺らしたってだけの話。

泣いた理由も、一言で言うなら「特にない」。
でも長々と説明してくれと言うなら舌が乾く。



特に書きたいことがあったわけじゃないです。
ただただ逃避したい現実がそこにあって
どうしようも無くて。

僕の周りの時間を少しだけ止めて
宇宙のあたりまで小旅行をしたい。
今の状況を忘れた頃に此処へ戻ってきて
そうしてまたイチからやり直したい。

明日の朝もバイトです。
そういった規則正しい生活が
僕から退屈な時間を拭い去って
退屈が無いということは
僕の想像力が段々耳のあたりから垂れ逃げていくということなので
それはとても残念なことだなあ、とぼんやり考える。




一人の時間が減ってるし
その理由も確かだし
それを止めようと思えば止めることは出来るけれど
その先にあるのは無意味な時間の羅列と成長しない自分と。
いつまで経っても人間に近づけない。

普通ですよ。とても普通な人間ですよ。
そして普通な人間なりに変な部分もある。
どんな普通な人間でも持ってる「ああここ変だよ」ってくらいの変な部分はあるけど
その変な部分がやっぱり少し変だ。

そこが無ければ僕じゃ無いと思うけど。
誰の所為でも無いし。

「人間失格」

あーもう。さようなら。




変わろうとしても変われない証拠なのかと思ったけど
いますごくびっくりしたのは
一年ほど前に理想としていた状況に重なる部分がとても大きいはずなのに
逃避したい現実が目の前に横たわっているのは一緒で
ただただどこかに逃げ出したい足元も同じで

靴を履き替えたいんじゃなくて
歩く場所をそのままそっくり変えたい。



誰も傷つけたくない。正直に言えば、出来ることならば、僕も含めて。誰も。
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減るたー透けるたー

 おひさしぶりーふ。何時の間にやら6月もはんぶんこ。


昔っから「無意識がどうたら」って話をしてたが
なんとなく、思いついたことがあるんで。書きます。
これまでの考えが根底から崩れるかも。


無意識と意識ってのは、逆の部分にあるものですよね。
意識ってのは名の通り、自分で意識できる部分。
無意識ってのは、意識できない=自分でわからない。

だから、無意識の自分を意識するためには
他人からの指摘を受ける必要があったりする。


でもそれって・・・

ダメだすげー眠い。明日にまわすか。
結論は別に大したことじゃなくて
無意識=本能だよねっていう。
でもそこから無意識→意識のプロセスを考えると
草食化とか女性の社会進出とか

ああもうめんどい明日だ明日!ねみい!

彼女の増すから

ほい久々。余計な前置きはのけといて
少しメモ代わりに2つの事をば。


1つめはどうしようもなくしょうもないこと。
僕は、そのうちカツラをかぶる若者が多くなるんじゃないかとふんでる。
おそらく誰かがやり始めたら流行りだすレベルだろうなと。
ハゲの爆発的な進行、流行ってわけじゃないよ。
あくまでファッションとしての。

理由はもう想像つくだろうし割愛。この話題、終了ー。





で、2つ目だ。

以前から僕は生死に関わる考え事をするのが好きだった。
特に「来世」とは何かということ。
宗教の概念にもよるだろうけど、つまりは死んだ人間が次の世代で生まれ変わるということだ。
じゃあ「生まれ変わる」って、いったいなんだ?


死んだ以上、肉体は別物だし
赤ん坊から成長していくのだから、精神も違う。
何をもってして、「僕」が来世での「僕」となりうるのか。
今の「僕」と来世の「僕」では、なにが違うのか。いや逆に、なにが同じなのか。


おそらくそこに存在する考え方は「魂」だ。
そもそも魂に対する考え方も宗教だとか個人だとかで違うだろうけど
ここでは、まあ、肉体と精神を結びつけるもの、とでも考える。

こいつが同じだから、来世での生まれ変わりってのがある、というような考え方だ。



正直いって、僕は元々生まれ変わりを信じてない。
この人生は一回切りだと思ってる。
だから毎晩寝る前「このまま死んだら嫌だな」とすごく怖くなる。
そして「死」について無意識に考えてる自分に気がついて
「あっちいけ、あっちいけ」と意識を、ぷいと横に背けながら寝ようとするわけだ。

魂なんてのは、どうしたって死という存在を肯定したくない人たちが考えつく偶像だ。
それさえあれば僕たちには「生き返り」の選択肢が残されてるわけだから。


しかし「魂」というものを考えてみる面白みもある。

例えば、幽霊の存在なんて話がある。
科学的には立証できない不可思議な現象。
でも僕なりの説明でいえば
それは「魂」に糊付けされた「精神」の具現化だ。
「肉体」を失ってもなお、強すぎる「精神」が「魂」の粘着力を高め
普通ではありえない、現実世界そのものへの結合をしてしまう、という。。。

文字にしてしまえば、「そんなバカな話があるか」と一蹴される笑い話だけど
いいじゃないかどうせ笑い話だと思って書いているんだから。
どうせなら可笑しなストーリーを考えた方が楽しいでしょう。



で、だ。今日の本題。

そもそもその「魂」とやらが存在しているにも関わらず
現実世界の僕らは生き返りを実感できていない。なぜだろうか。
どうしたってどこかで僕ら自身が生き返りを実感できていなければ
それはそもそも「生き返り」と呼ぶことができるのか?いやできないだろう。
ではなぜ僕らは実感できていないのか。

それは僕らが「魂」を持っているにも関わらず「生き返り」ができていないからだ。
そう、生き返れてないのだ。この人生は一度きり。
しかし「魂」が存在しているなら、それがそのまま「精神」とひっついたまま来世へとんで行けばいいじゃないか。



そうはいかない、理由がある。

なぜか。その原因は「魂」の形にあった。
そこが今回の話したいことだ。
僕はずーっと、魂は粘土のようなものだと考えていた。
現世にある魂の粘土は、来世へ行く間で一度大元の魂と合致するのだ。

現世において、人には1つずつの魂の塊(漢字にすると紛らわしいな)を与えられている。
そして死んだあと、その魂は大元の塊へと融合されるわけだが
まるで1つの小さな粘土の団子を大きな粘土の塊へ混ぜあわせるような感じになる。
そしてまた新たな人間が生まれたとき、大きな粘土をちぎって1つの小さな粘土の塊にするように
大元の魂から、ひとりの人間分の魂を作り出して、与えるわけだ。

魂が大元の塊へとまぜあわせられる度に、それは別のものになる。
例えば青の粘土を赤い粘土へと混ぜあわせて、またその1つの粘土から2つの粘土に分けるとする。
そうして出来上がった粘土は、元あった赤と青の粘土では無くなっているはずだ。

こうして、現世と全く同じ魂が生成することがほぼ不可能な以上、生き返りは無理だと考えたわけだ。



しかし我乍らこの考え方には疑問があった。
魂の消失、生成があまりにも単純すぎて
いくら例えだとしても「粘土」は適さないような気がしていたのだ。
もうワンクッション置きたかった。



で、先日友人達と焼肉にいったときのこと。
腹も満ぱんに膨れたあと、友人がちょっとした手遊びをしているのを見て
「お」と閃いた。

友人は、焼肉の終えた網の上で氷を転がして遊んでいた。
火はまだついていたの、氷はみるみる溶けていく。
最後には完全に水になって、炭の上で「しゅ」っと音を鳴らして消えていった。

これだ。粘土ではなく、水から氷へ。氷から水へというイメージがぴったりなのだ。




現世の人間はひとりずつ氷のような魂を持つ。
生きていくなかで、その氷は段々と溶けていく。
溶けきったとき、否応もなく僕たちは死んでしまう。
溶けた氷は、どこかに溜まっている水と一緒になる。
そしてその溜まり水を少し掬って製氷機にかけて
また新しく生まれた人間に分け与える。


完璧なイメージが出来上がった。
これで僕たちの生死のサイクルの全体像がぼんやりとつかめたことになる。







以上。なんだかわけのわからない話かもしれないけれど、興味をもってくれると嬉しいなあ。

箸べる仲で並べるうる

 忙しいとは言ってもブログを書けないほどじゃないんだが
ブログなんて書いてる暇あったら他に作業することあるんじゃい
と言ってブログには手をつけないまま
なんかネットしたりテレビみたり。矛盾す。

28日頃にきちんと書きたい。
何かを書かないとやはり脳みそがくさっていってる気がする。こわい

季節を切る、貼る

更新しまくろうとか思ってたのに、気がつけば3月も3週目。
暇つぶしがてらにブログ訪問してくれる人に申し訳ねえのなんの。
とりあえずひとつきのブログ更新量を2桁に維持したい気持ちはあるんだが。


んー、書きたいことはあるんだが
言葉を残すことが最近億劫になっているというか。
昔はすごく無責任なことを言っても「だからなんだよ」と何も気にしてなかったのが
最近はそれに少し敏感になっているのかな。なんだかよくわからないけど。



しかし依然として無責任な発言はとまらないですよな。
言ったことと逆のことを次の日に言うなんてことはちょくちょくあるんではないかと思う。
なんでそうなったのか・・・わからん。




おそらく、そういう言動をとる裏には「ぼーっとしてる」という単純な理由が関係してるとは思うんだが。
だからきちんと二人で向きあって話をしているときは
とても真面目な思考で物事を考えつつ話してるはず。
逆にみんなでわいわい集まってふわっとした話をしてるときは
意識がかなり遠いほうへ行ってることもあるから
それを根拠にはなしを持ち出されても完全に記憶が消去されてることもある。




よく友人に指摘されるが、異常に記憶力が悪い。
一年間同じクラスで過ごした友人だろうがなんだろうが
覚えないものは覚えない。顔も名前も。
初対面におけるコミュニケーション力が発達しているために
それまで付き合いがあろうがなかろうが、関係なく接することができるし
初めてであろうがなかろうが名前なんて知らなくてもコミュニケーションとれるからだ。

そんな記憶力なために、前の前の日くらいにぽっと言ったことなんて忘れてる。
そんで真反対の行動に出たり。
それを指摘されて、やっと思い出したり。




そう、完全に記憶が消去されてるわけじゃない。
そこが不思議なんだなあ。なんで思い出さないんだろう。




まあそんなわけで、少し気を付けています。矛盾に。
おしまい。

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