ほい久々。余計な前置きはのけといて
少しメモ代わりに2つの事をば。
1つめはどうしようもなくしょうもないこと。
僕は、そのうちカツラをかぶる若者が多くなるんじゃないかとふんでる。
おそらく誰かがやり始めたら流行りだすレベルだろうなと。
ハゲの爆発的な進行、流行ってわけじゃないよ。
あくまでファッションとしての。
理由はもう想像つくだろうし割愛。この話題、終了ー。
で、2つ目だ。
以前から僕は生死に関わる考え事をするのが好きだった。
特に「来世」とは何かということ。
宗教の概念にもよるだろうけど、つまりは死んだ人間が次の世代で生まれ変わるということだ。
じゃあ「生まれ変わる」って、いったいなんだ?
死んだ以上、肉体は別物だし
赤ん坊から成長していくのだから、精神も違う。
何をもってして、「僕」が来世での「僕」となりうるのか。
今の「僕」と来世の「僕」では、なにが違うのか。いや逆に、なにが同じなのか。
おそらくそこに存在する考え方は「魂」だ。
そもそも魂に対する考え方も宗教だとか個人だとかで違うだろうけど
ここでは、まあ、肉体と精神を結びつけるもの、とでも考える。
こいつが同じだから、来世での生まれ変わりってのがある、というような考え方だ。
正直いって、僕は元々生まれ変わりを信じてない。
この人生は一回切りだと思ってる。
だから毎晩寝る前「このまま死んだら嫌だな」とすごく怖くなる。
そして「死」について無意識に考えてる自分に気がついて
「あっちいけ、あっちいけ」と意識を、ぷいと横に背けながら寝ようとするわけだ。
魂なんてのは、どうしたって死という存在を肯定したくない人たちが考えつく偶像だ。
それさえあれば僕たちには「生き返り」の選択肢が残されてるわけだから。
しかし「魂」というものを考えてみる面白みもある。
例えば、幽霊の存在なんて話がある。
科学的には立証できない不可思議な現象。
でも僕なりの説明でいえば
それは「魂」に糊付けされた「精神」の具現化だ。
「肉体」を失ってもなお、強すぎる「精神」が「魂」の粘着力を高め
普通ではありえない、現実世界そのものへの結合をしてしまう、という。。。
文字にしてしまえば、「そんなバカな話があるか」と一蹴される笑い話だけど
いいじゃないかどうせ笑い話だと思って書いているんだから。
どうせなら可笑しなストーリーを考えた方が楽しいでしょう。
で、だ。今日の本題。
そもそもその「魂」とやらが存在しているにも関わらず
現実世界の僕らは生き返りを実感できていない。なぜだろうか。
どうしたってどこかで僕ら自身が生き返りを実感できていなければ
それはそもそも「生き返り」と呼ぶことができるのか?いやできないだろう。
ではなぜ僕らは実感できていないのか。
それは僕らが「魂」を持っているにも関わらず「生き返り」ができていないからだ。
そう、生き返れてないのだ。この人生は一度きり。
しかし「魂」が存在しているなら、それがそのまま「精神」とひっついたまま来世へとんで行けばいいじゃないか。
そうはいかない、理由がある。
なぜか。その原因は「魂」の形にあった。
そこが今回の話したいことだ。
僕はずーっと、魂は粘土のようなものだと考えていた。
現世にある魂の粘土は、来世へ行く間で一度大元の魂と合致するのだ。
現世において、人には1つずつの魂の塊(漢字にすると紛らわしいな)を与えられている。
そして死んだあと、その魂は大元の塊へと融合されるわけだが
まるで1つの小さな粘土の団子を大きな粘土の塊へ混ぜあわせるような感じになる。
そしてまた新たな人間が生まれたとき、大きな粘土をちぎって1つの小さな粘土の塊にするように
大元の魂から、ひとりの人間分の魂を作り出して、与えるわけだ。
魂が大元の塊へとまぜあわせられる度に、それは別のものになる。
例えば青の粘土を赤い粘土へと混ぜあわせて、またその1つの粘土から2つの粘土に分けるとする。
そうして出来上がった粘土は、元あった赤と青の粘土では無くなっているはずだ。
こうして、現世と全く同じ魂が生成することがほぼ不可能な以上、生き返りは無理だと考えたわけだ。
しかし我乍らこの考え方には疑問があった。
魂の消失、生成があまりにも単純すぎて
いくら例えだとしても「粘土」は適さないような気がしていたのだ。
もうワンクッション置きたかった。
で、先日友人達と焼肉にいったときのこと。
腹も満ぱんに膨れたあと、友人がちょっとした手遊びをしているのを見て
「お」と閃いた。
友人は、焼肉の終えた網の上で氷を転がして遊んでいた。
火はまだついていたの、氷はみるみる溶けていく。
最後には完全に水になって、炭の上で「しゅ」っと音を鳴らして消えていった。
これだ。粘土ではなく、水から氷へ。氷から水へというイメージがぴったりなのだ。
現世の人間はひとりずつ氷のような魂を持つ。
生きていくなかで、その氷は段々と溶けていく。
溶けきったとき、否応もなく僕たちは死んでしまう。
溶けた氷は、どこかに溜まっている水と一緒になる。
そしてその溜まり水を少し掬って製氷機にかけて
また新しく生まれた人間に分け与える。
完璧なイメージが出来上がった。
これで僕たちの生死のサイクルの全体像がぼんやりとつかめたことになる。
以上。なんだかわけのわからない話かもしれないけれど、興味をもってくれると嬉しいなあ。
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