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現実は単なる二度寝の夢

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ネストは入れる

東京事変の新しいアルバム出ましたね。
この二日間で繰り返し繰り返し聴きました。
なるほど、コンセプトアルバム、って感じ。
すごく好き。

前作の「娯楽」の色もところどころに見えながら
椎名林檎ソロ名義の「三文ゴシップ」の色も垣間見える。
今作聴いてるけどソロの方は聴いてないよって人は聴いてみるといいと思う。


一作目の「教育」は、今のメンバーと違うから音が違うのは当然とも言える。
「大人」以降の洗練された感じよりも、ライブ映えする荒々しさみたいなものがあった。
元東京事変のギタリスト(ヒラマミキオ)は、そこまで好きじゃなかった。
あの荒っぽい感じがあのアルバムの雰囲気にあってたとは思うけど
正直言って、あの人じゃなくてもできたことだと思う。
で、現PE’zのピアノスト(ヒイズミマサユ機)が元々ピアノやってたわけだけど
この人のピアノは本当に好きだった。
ただ、今の東京事変にこの人がいたら・・・と考えると
また別の形態のバンドになっていただろうなと思う。


僕が一番好きなアルバムは「大人」なんだが
このアルバムの時点ではそこまでピアニストの力強さは認識できない。
もちろんピアノはバンドの音の中でもいい響きを持ってるんだが
現ピアニスト(伊澤一葉)ぽさをはっきりと認識できるようになるのは
三枚目以降からじゃないかなーと思う。


そう思う理由。
1つには、ヒイズミマサユ機の印象があまりにも強すぎたこと。
ライブ時における彼のパフォーマンスでは誰もが強い印象を植え付けられただろうし
それを見た後、聴いたあとでは「大人」のピアノは弱すぎるというような印象しか持てない
というような人が多かったんじゃないかと思う。

2つめ。「大人」というアルバムはバンドとしての方向転換をするために存在したのでは無いかと思う。
椎名林檎や亀田誠治が今のようなアルバムのだしかたを想定してたのかはわからないが
一枚目とそれ以降とでは明らかに色の音が違う。
それは、一枚目の核をなす曲をいくつか書いていた作曲家兼ピアニストがいなくなったことや
一枚目の「荒々しさ」という色を表現していたギタリストがいなくなったことが大きく関係しているだろうが
一枚目のその印象をがらっと変えるための二枚目「大人」だったのではないだろうか。
3枚目と比較するとその違いがよくわかる。
「大人」は明らかにアルバムの流れを特に重視して作られたCDだと思う。
つまり、個々の色を出すことよりもバンドの在り方の違いを示そうと。
そういう意識を全面に出したんじゃないかと勝手に思ってる。
もしくはピアニストギタリストの両人がバンド内での立ち位置を模索していたのかも。

で、3つめ。
東京事変のアルバムは、それぞれのアルバムに色がある。
その一部は各アルバムタイトルに表れてると思うんだが
個々の違いというものを全面に出したのが3枚目だと思う。
そこで改めてピアニストの個性が見えたわけだ。
上には「2枚目はバンドの方向転換のためのアルバム」とは書いたけど
荒っぽさを特徴にした1枚目、細かい音使いを駆使できる二枚目以降というように
ギタリストは比較的わかりやすい違いがあった(これは僕自身がギターを弾く所為もあるかもしれないけれど)。
でもピアニストはどうだったろう。
「へえ、こんな感じの音なんだ。こんな曲作るんだ」となって
「前の人より少しおとなしい感じなのかなー」くらいだった。
そしてその後、椎名林檎は作詞に専念し、他のメンバーのみが作曲を行った3枚目。
ここで作曲家としての一葉の魅力がずばばばばーんと見える。
名の通りキラーチューンな「キラーチューン」。
「金魚の箱」や「黒猫道」。たまらん!

そこで改めて二枚目の一葉作曲の曲を聞き返してみると
「あーなるほど」と気づく。
なんと表現すればいいのかわからないけれど、
この人の作る曲ってきちんと積み上げられてるんだよなあ。

これらの曲は「教育」におけるバンドメンバーでは作ることの出来なかった曲だと思う。



しかし逆を言えば
「教育」における曲は、現在のメンバーでは作ることのできなかった曲だとも思う。

だから一枚目の東京事変が好きだし二枚目以降の東京事変も好きだ。
うん、それだけ。好きなんだよね純粋に。



特にギタリストの浮雲は
出会ってからずっと好きなギタリストのひとりだし
ギターをやる上でいろいろな部分で参考にしてる人だし
そういう意味で二枚目以降が絶対的に好きなのは当然であってね。




うっひえ。まあなんだかんだと好きです。はい。あー今日はなんだか疲労感だべー。

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寝るまでが今日です

絶対に今日書こうとは思っていたんだけど、音楽作りの方に時間かけてしまった。


書くことというのは一番手軽な創作活動だと思う。特に僕にとっては。
創作活動は感性を刺激して想像力をふくらませてくれる。
それを持続的に続けることができれば、さらに効果は増す。

てなわけで、やはりなるべくブログは更新しようと思った。



自分が何かをすることによって自分の想像力を育てるというだけが、 思考力の成熟度に関わってくるわけでは無い。
他人の意見を聞き入れるということも1つの大切な行為だ。
また、単に他人の話を聞いてそれを受け入れるというだけでなく
他人同士が交わす議論を見ることで何かを感じることができれば、それも成長した証だと思う。



少し違う話題に。

このブログとミクシーの日記では決定的に違う点がある。
それは、他人が保有するページ内に「新着日記」が表示されるかどうかだ。
僕がこのブログを更新したことは、このページを開いて確認する以外に方法は無いが
ミクシーの場合、自分のページを眺めていれば誰かの日記が更新されたと表示される。

それをさらに凝縮、簡略化してスピーディーなコンタクトをとれるようにしたようなものがある。それがボイス機能だ。
ミクシーのボイス機能の発想には元になった(というかほぼパクリ)サイトがあって
それが最近爆発的な人気をみせている「ツイッター」。
ミュージシャンや作家や漫画家だけでなく、鳩山由紀夫のような政治家までもが参加しているということで人気を集めている。

まあ機能を詳しく説明するのも面倒なので、大雑把に言うが
要するにミクシーのボイス機能とほぼ一緒で
自分が選択した人の「つぶやき」が自分のページ上に表示されるというだけの話。
設定をしない限りは他人の「つぶやき」は勝手に見ることが出来るが
自分の「つぶやき」を誰が見ているのか、ということはしることが出来る。




それで本題。
最近、ネットが縮める距離感という物に驚いてばかりだったのだが
このツイッターこそがそれを顕著に表す例だと思う。

場所的、地位的な距離感がある人とのコミュニケーションを
インターネットはいとも容易く実現してしまう。
それは例えばこれまで交わる可能性が低かった人々が出会い、何かしらの反応を起こすきっかけになっていると思う。
今までありえなかったことが実現していっている現在、それはさらに世の中の動きを早めるということを著しているのではないか。


例えばこれを見て欲しい。
ツイッター上で著作権についてなされた議論。

まつきあゆむ、という最近注目を集めているミュージシャンがいるのだが
この人のスタイルは現代のネット文化を最大限に利用した
これまでにはあまり見られなかったもので
注目を浴びているぶん、議論の的になることもあるようだ。

そのまつきあゆむがネット上で行っていたラジオ放送に
ある音楽家兼音楽評論家が言及したことからこの議論が始まった。
気がつけば、曽我部恵一やアジアンカンフージェネレーションの後藤正文など
プロの音楽家までもが議論に参加している。
いろいろな年代、いろいろな立場の人がお互いの位置関係を探り合いながらも議論を交わしている。
非常に興味深い。
かなり長いけれど、時間がある人はどうか読んでみて欲しいと思う。
→サイト





もうこれを読んで本当に頭の中がぐわんぐわんなるくらいに刺激された。
これまで定められてきたルールと、それをもはや壊す勢いのある現代文明と。
その中で見える消費者と作り手の関係、人間の気持ち、音楽とは何か。


こういうものを見ると、ネットってすごい!!!と思う。
けれど、危機感をいだいている部分があるのも確かなことで。

それはまた次回にでも書こうと思う。駆け足になっちゃったけどこれでおしまい。

88圏論

 めっきりブログ書かなくなってて
アクセス数も0になってるだろうなと思っていたら
連日アクセスいただいてて嬉しい限りです。

昨日の朝から体調不良でして。
親に連れられ病院に行ってきたんですが
急性のウィルス性胃腸炎、簡単にいうとお腹の風邪だそうです。しかし
風邪なんて言葉で表したくないほどの痛みでした。

病院に行くほど体調を崩すのなんてひさしぶりで
「痛いってこういうことだよな」とほぼ何も考えられない頭で考えていた。

なにが辛いって、普通の飯が食えんこと。
ポテチが食いたい。いちごのショートケーキが食いたい。
全然関係ないけど、ケーキの中ではいちごのショートケーキが一番好きです。
あんまり書くと食いたくなるのでこの話題はここでやめにします。


病は気からなんていうけど、病が気に影響することもあるとおもう。
体調が悪いときは気分が重くなることも多々あって
多分に漏れず昨日もベッドの中でいろいろと意味の無いことばかり考えていた。

書くとさらに考えてしまうから、これもやめよう(笑



すごく頭が痛くなって、遠くの景色を見てみたいと思った。
ベッドに横たわったままだと暗闇かその向こうにある天井しか見えないわけで
頭の中に草原でも見ようと考えたんだが
わんわんと鳴る頭痛の所為で何も見えなかった。
その時は体調が悪い所為にしていたが
やはり想像力は失われているなあ、と感じた。

いまいる世界と別の世界を描けない。
鎖で束縛されているような気持ち悪さを感じる。




ちょっと寝ます。次は全く別の話題を。

夢だったような気もするさっき

来週に提出するレポートをてっきり明日提出だと思って昨晩眠気に耐えつつ必死にやってたんだが
ほんと半分寝かけてたから内容がすさまじいことになってる。
「自分の存在は他人が存在することによって初めて意味をなしてくるもの」とか書いたり
なんか同じことを何回も繰り返してたり、かなりひどい。

でしかも最悪なのが、昨日完全に文章も途中だろって部分で寝落ち。
なんか最初っから書くのもめんどくさいから続きを書いていこうと思ってるんだが
こんな宗教じみた感じの文章を続けて書いていけるのか、なんだか不安だ。

傷つけて欲しそうな上目遣い

人間の好奇心てどこまでいくんだろうな。

まわりみちってなんだろうな。

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