忍者ブログ

現実は単なる二度寝の夢

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

こねるもの

感情論が肯定されて屁理屈が否定されるということ。

いやこれは一般的に言われてることじゃないかもしれないし
まあなんというか、別にそれをモットーにすることはいいと思うし
でも、そもそも屁理屈ってなんぞやと思うことがある。

手元にある電子辞書いわく、屁理屈って「つまらぬ理屈」「道理にあわない議論」らしい。
じゃあ「道理」ってなにさと思いこれまた調べて見ると「物事のあるべきすじみち」とか「人の行うべき正しい道」とか書いてある。わからん。


大抵の物事は時間さえ許せば論理的な道筋を経て考えたい性格だから
そもそもそこにある自分を「屁理屈」と決定づけられることに対して不満を感じてしまう。
幸い自分の周りにはきちんと話を聞いてくれる人が多いから助かっているけど
時々「屁理屈ばっかり言いやがって」ということを言われると
「それこそ屁理屈より酷い決めつけ方だ」と思ってしまう。

つまりは、とことん話し合いたいという気持ちを持っているんだと思う。
相手を言い負かしたい気持ちなんて無くて、どこまで自分が納得出来るかみたいな部分があって。
根本的な考え方として「無意識って大事だよね」ってのがあるから
自分の見えてない部分(もしくは意見)を対話の中から見つけだせればいいし
その結果自分の論理に間違いがあると思ったらそれは潔く認めるし。


感情論て、無意識の自分を言葉を投げつけてるような感じがするけど
結局は自分の欲望が先行した後付の理論に思えて
すごく脆い物のようにみえる。
もちろん真っ裸の感情をそのままさらけ出されたらそれに勝てる物なんて何も無いんだけど。


この間企業研修みたいなものに行ってきて
その中で論理分析の手法とかを教わって実践したりしたわけなんだけど
その中で物凄く大切なのは、ゴールが先にある理論はとても脆いっていう自覚。
先にゴールが或るものは道のりも容易く見えて
それ故に何か今自分が見えないものを飛び越えちゃったり
もしくは他の道に気付かなかったりもする。

社員さんは、もうそういう手法を使わずとも
きちんと順序だった論理を頭の中で展開できるようになってて
でも結局はそういうツールを頭の中で瞬時に再現してるだけだったりしてね。

ああもう言いたいことがうやむやになった・・・。


最近全く文章を書かなくなってしまって
僕の論理力
というよりかは、自分のは「こじつけ力」に近くて
上で言ったような感情論に似たような物な気もしてるんだけど
そういう力が弱くなってるなとかって思ったり。

たくさん読んでたくさん書く生活を取り戻したいみたいな
そもそもそんな生活あったんかいなという感じですね。


今日のBGMはAlbum Leafの"In A Safe Place"
PR

はさびらは果肉と更地ら

寝るためになにか区切りをつけなきゃーと思ったので適当に書く。

ふと読み返してみたらサンレコの11年4月号がかなり良かった。
ヤスタカのプライベートスタジオとかDAWミキサーの初心者講座とか
あとは坂本龍一のNHKライブの様子とかもけっこうおもしろいんだけど
特に改めておもしろいと思ったのが、salyu salyuのインタビュー。
小山田圭吾プロデュースのsalyuのプロジェクトについての話を、それぞれふたりに聞いてて
なんかインタビュー用の写真がおもしろかった記憶ばっかり残ってたんだけど、内容もおもしろかった。

特に小山田→salyu→作詞家って曲が手渡される時のプロセスの中で
salyuが仮歌を入れる時に「どこにどの母音があって欲しいのか」ってのを強調するっていう。
ボーカリストにとってそれってすごく重要なことなんだよね。
メロディの最高音で伸ばす音の時に選ぶ母音とか、人によるだろうけど色々あって。

それでふと思いだしたんだけど、こないだ歌詞書いてて気付いたのね。
日本語で「あいうえお」、英語の順番から抜き出すと「a e i o u」になるよね。
これ実は、口の大きさの順番と一緒なんだ。
わかるかな。「あ」って口を大きく広げないと発音出来ないでしょ。
でも「う」は逆に口をすぼめないと発音出来ない。
これって偶然なのかな?


話それた。
あと、salyuが小山田さんを誘うことになった要因みたいなのが
「クロッシングハーモニー」っていう理論らしくて。
一切自分で調べてないからどんなもんか知らないけど
ピアノだと不協和音に感じる「隣り合った音」は
人間の声で同時に発音すると美しいハーモニーになる。って理論らしいのね。
おもしろいなー。


ちょうどいい時間になったし寝る。
今日はずっとTelefon Tel Aviv聴いてる。
BGMとして最高だけど、寝てる間はパソコン消すようにしようかな。

無題

久々に1時間くらいかけて記事書いたんだけどね
慣れないことするもんじゃないや、アホなことして全文消してしまった。

思えば話は飛び飛びだったけど
価値観を上書きすることと成長の兼ね合いとか
音楽を聴く、作る、評価するの立場の違いとか
人を好きになるよりも嫌いになる方がよっぽど簡単だとか
ネットやメール文化がもたらした文章力への影響とか
一日の区切り目がなぜ寝ている間にやってくるのかとか

なんだか本当に色々な話題が詰まった文章だった。
意外とおもしろいこと書いてたかもな、惜しいことした。

また今度、覚えてたら
ちょこちょこ細かに書いていこうかしらね。

あ羅夢日々のため

「僕にはこんな特技があるんだよ」という素振りを
自然に見せようとする虚栄心に似た気持ちは誰でも持ってる。
だけど何かを極めている人がそれをそうして見せびらかすことが無いのは
もはやそれが自分にとっての普通であって、それよりもすごいことがあることを自覚してるからだ。

眠さの限界まで来てるなかで文章を組み立てる。
見やすくしようとか、分かりやすくしようとか
そういう気持ちが一切入らないある意味まっ更な文章になることだろう。


他の人から見たらすごい人。
だけど、それに片足つっこんでるからこそわかる
「僕よりもすごい人はたくさんたくさんたくさんいるんだよ」という気持ち。

そして「僕よりもそっちを見なよ」という気持ち。

わるくもないしよくもない。
結局そういう生き物なんだ、心を持ってると。

空っぽ半歩

 昔から自分に多いなと思うのが、やろうと思ってるのにやらないということ。
有限不実行ってやつ。一番最低なパターンだ。

もしそれを誰かに公言してたことなら
どんなに些細なことであろうともその人からの信用は失うし
自分の自分に対する信頼という物も失せていく。

「ああ、こう思ってもどうせ俺はやらないんだろうな」とか思って
最初から自分に期待せずに物事の準備をするようになって
自分が物事をこなせなかったときや
そもそも挑戦すらしなかった時の失望感みたいなものが薄まっていく。

危ない状態だな、と改めて思う。
でもそれを思うのはこうして自分を客観的に見てる時だけだ。
こういう考えってすぐに流されてしまう。その時々に。


明日はいい日にしよう。
明後日はもっと良い日に。

カウンター

最新記事

カレンダー

04 2017/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

最新CM

[11/30 torisuke]
[11/10 かわ]
[11/08 ○チメディア文化課程]

最新TB

プロフィール

性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

アーカイブ

カテゴリー

アクセス解析

リンク

アクセス解析