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現実は単なる二度寝の夢

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こねるもの

感情論が肯定されて屁理屈が否定されるということ。

いやこれは一般的に言われてることじゃないかもしれないし
まあなんというか、別にそれをモットーにすることはいいと思うし
でも、そもそも屁理屈ってなんぞやと思うことがある。

手元にある電子辞書いわく、屁理屈って「つまらぬ理屈」「道理にあわない議論」らしい。
じゃあ「道理」ってなにさと思いこれまた調べて見ると「物事のあるべきすじみち」とか「人の行うべき正しい道」とか書いてある。わからん。


大抵の物事は時間さえ許せば論理的な道筋を経て考えたい性格だから
そもそもそこにある自分を「屁理屈」と決定づけられることに対して不満を感じてしまう。
幸い自分の周りにはきちんと話を聞いてくれる人が多いから助かっているけど
時々「屁理屈ばっかり言いやがって」ということを言われると
「それこそ屁理屈より酷い決めつけ方だ」と思ってしまう。

つまりは、とことん話し合いたいという気持ちを持っているんだと思う。
相手を言い負かしたい気持ちなんて無くて、どこまで自分が納得出来るかみたいな部分があって。
根本的な考え方として「無意識って大事だよね」ってのがあるから
自分の見えてない部分(もしくは意見)を対話の中から見つけだせればいいし
その結果自分の論理に間違いがあると思ったらそれは潔く認めるし。


感情論て、無意識の自分を言葉を投げつけてるような感じがするけど
結局は自分の欲望が先行した後付の理論に思えて
すごく脆い物のようにみえる。
もちろん真っ裸の感情をそのままさらけ出されたらそれに勝てる物なんて何も無いんだけど。


この間企業研修みたいなものに行ってきて
その中で論理分析の手法とかを教わって実践したりしたわけなんだけど
その中で物凄く大切なのは、ゴールが先にある理論はとても脆いっていう自覚。
先にゴールが或るものは道のりも容易く見えて
それ故に何か今自分が見えないものを飛び越えちゃったり
もしくは他の道に気付かなかったりもする。

社員さんは、もうそういう手法を使わずとも
きちんと順序だった論理を頭の中で展開できるようになってて
でも結局はそういうツールを頭の中で瞬時に再現してるだけだったりしてね。

ああもう言いたいことがうやむやになった・・・。


最近全く文章を書かなくなってしまって
僕の論理力
というよりかは、自分のは「こじつけ力」に近くて
上で言ったような感情論に似たような物な気もしてるんだけど
そういう力が弱くなってるなとかって思ったり。

たくさん読んでたくさん書く生活を取り戻したいみたいな
そもそもそんな生活あったんかいなという感じですね。


今日のBGMはAlbum Leafの"In A Safe Place"
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