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現実は単なる二度寝の夢

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空っぽ半歩

 昔から自分に多いなと思うのが、やろうと思ってるのにやらないということ。
有限不実行ってやつ。一番最低なパターンだ。

もしそれを誰かに公言してたことなら
どんなに些細なことであろうともその人からの信用は失うし
自分の自分に対する信頼という物も失せていく。

「ああ、こう思ってもどうせ俺はやらないんだろうな」とか思って
最初から自分に期待せずに物事の準備をするようになって
自分が物事をこなせなかったときや
そもそも挑戦すらしなかった時の失望感みたいなものが薄まっていく。

危ない状態だな、と改めて思う。
でもそれを思うのはこうして自分を客観的に見てる時だけだ。
こういう考えってすぐに流されてしまう。その時々に。


明日はいい日にしよう。
明後日はもっと良い日に。
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指で作った世界を

今日は2枚CDを買ったりなんだり


もうここはメモ代わりに使うことにしました。
きっと見てる人も0に近いと思うし。


今日のメモ。
Xcodeで改行させたいときは、¥nでなく\nを使うと。
理由はXcodeが ユニコードだから。
Macで\を出すにはopt+¥


あとは何かあるかな
また明日でもいいや

差異箸

 地震は怖かったね


このブログ、もはや日々のネタ出しのためにしか使ってなくて
目的が手段にっていう言葉そのとおりの使い方が少しおかしい。

今僕に与えられてるテーマは「平和ボケ」。これをもう1つのテーマと絡ませなきゃいけない。
だけどそれらは到底離れたものでなかなか結びつかない。
ただでさえ「平和ボケ」で何かを書くってすごく難しいのに。

と思ったとき。なんでそれが難しいのかな、と考える。

僕は人を皮肉るのがけっこう好きだ。
でも、ただ人を皮肉ってもおもしろくないので
モノになんかしらのベールをかぶせたりする。
好奇心旺盛で賢い人ほどベールを剥がせて皮肉に近づいていくっていう、
その図式こそがすごく人を皮肉っているようで気に入ってる。

平和ボケって言う言葉は、それこそがもうすでに人を皮肉った言葉だ。
辞書なんかにも載ってないのでwebで調べてみると「日本俗語辞書」なるサイトに出会う。
> 平和ぼけとは終戦以降、憲法第九条の戦争放棄により、長く戦争から遠ざかっている日本及び日本人の国際的見地での常識の欠如や危機感の低さを表す言葉である
なるほどねえ


まあ色々な見方があるだろうけど、やっぱり人が
というより日本人が平和ボケしてるように自覚するのは
戦争と自分の距離を意識したときなんだろうねえ。

でもそれをテーマにするのはすごく難しい
というのも当然ながら僕も戦争に出会ったことが無いわけで
「油断してるとこんな目にあうんだぞ〜」てなこともほとんど実感がわかない。


じゃあそれ以外では。
とても不運にも、と前置きで付け加えておくけど
タイムリーに僕らの平和ボケ具合を知らせてくれたのが地震だ。
だけどやっぱりそれも難しい。
地震が起きたのが近すぎてどうも言葉にしにくい。


結局、物凄く抽象的に攻めるしか無いきがして
もうどうしようも無いなという気もして
なんだかんだで1週間以上経つ。そろそろ2週間か。


うーん、アイデア・・・。


全く関係ないけど、そういえば先日「アイデアの壁」ってのがあることに気がついた。
その話はまた後日。

火っ栗買える

 白と黒と言われて思い浮かぶもの、なんだろう。

僕はなんとなくオセロを思い浮かべる。
白と黒しかいない。
挟み込まれたら、ひっくり返る。
挟み込んだら、ひっくり返す。

あとはパンダ。
白い部分と黒い部分をひっくり返すと
なんだか奇妙なクマに見える。
そういえば今日知人が「実物のパンダは思ったほど可愛くなかった なぜ皆あんなにもちあげるのか」と言っていた。
彼らもただのクマである。勝手に持ち上げられて勝手に失望されて
でもきっと、珍しい物ってそういう風になるようになってるのかもしれない。
それこそがただのクマと一線を画す理由と


なんだこの文体気持ち悪い

日に火に皮肉に苦に食う

 ふと思ったのが

記憶を無くしていくということはとても辛いことだけど
でもそれはとてもありがたいことであったり。
それを考えていると、なんだか記憶の出し入れって食事と排便みたいだなと。

食べることは楽しい。楽しむことが出来るならば楽しい。
だけど一度体に入れた食べ物は排出しないといけない。
細かく細かくして自分に必要な分だけ残していかないと
次に入ってくる物の入る場所が無いから。

そうして次の食べ物を見たとき、嬉しがる。
それを排出するときは何とも思わない。
もうそれは、入れた時の物じゃない。


僕たちの記憶は、今の自分にとって都合の良いように最適化される。
それは僕たちを生きやすくするための工夫だ。
排泄物をありのままに見せつけられると
「ああ、そういえばこのときはこうだった」って、嫌なことまで思い出してしまう。


なんで人は物を忘れてしまうんだろう。
人一倍物忘れが激しい(というかそもそも「覚える」ということが出来ない)僕は
なんだかそんな疑問をずーっと抱き続けてたけど
考えてみれば当然のことなんだ。

人間の脳をフル活用すれば、人生のすべてを写真のように映像のように
死ぬまでの間は残すことが出来るのかもしれないけど
それはあまり良くないことなんだろうな。



こうして僕は排便記録をとっています

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