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現実は単なる二度寝の夢

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鬱らう辛、眠り眠り


いやはや。毎日更新したいとは思っているんだがね。

パソコン開かないと書かないんだよね。
携帯で文章書くの億劫だし。
未だにどうやって携帯でブログとか書くのかしらんし。



明日と明後日は更新しようと思う。家に帰れば。

よし、今日はもう寝よう。健康健康。
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無音の指


おや、ブログ書くの土曜日以来か。
文章書くのパソコンでしかしないしなあ。

Mで始まるあのサイトで書いてたときは
とにかく毎日なにも考えず書いてたわけだが
こっちに移行してからは
なんとなく、その日あったことを書こうという気分にならない。


まあ書きたいことが特に無いのも確かかも。
昔に比べると「考える」時間が減ったな と思う。


なんだか本を一気読みする時間が無くて
未だに灰谷さんの本を読んでるんだけど
前の記事にも書いたように、なんとなくひっかかる部分がある。
でもそれがあるからこそなんとなく「考える」時間が出来ていることに気がついた。

理想論を目にしたときに
それをただ鼻で笑うだけじゃなくて
それを現実に近づけるためにはどうすればいいのかとか
じゃあ自分の考えは理想と現実どっちに傾いてるのかとか
無意識に色々と考えてるんだなってことに気がついた。
これってとても大切なことなんだろうな。


人間て誰かからの影響を受けないと深い考え方って身につかないんだと思う。
だから、誰かの何かを感じ取ることってとても意味のあることなんだろうな。


ああ駄目だ完全に文章書く気が殺げた。
明日かくよあした。

泡は泡のままだ、ラララ、


うんともすんともいかない日は
ちんけなテレビ番組で流れているBGMだけで泣きそうになる。
まったく意味がわからないよね。



このブログ、というか僕が書く日記全般では
造語というほど新しくはないけれど
言葉の組み合わせが妙だなってことは多々あるだろうが
見逃してスルーする気分で見ててね。
そのときの気持ちから自然と出た文章だから
僕はそれを気付きつつも放っておくし、あとから編集する気もないんだ。
まあ漢字間違いとかは普通に恥ずかしいけれど(笑)



新学期が始まってから本を読むことが少なくなってしまって
読んだところで教養になるような本を読んでいるわけじゃないから
別に読まなくたっていいんだけれど。
シリーズ物とかでも平気で一ヶ月くらい間を空けて、その間で他の本を何冊か読んだりするようなずぼらな性格なんで
本を読み途中でもそのままにしておけちゃうんだけどさ。

小学生の時から大好きな作家がいて
灰谷健次郎さんと言って、知る人ぞ知る名作家だけど
多くの著作は教育現場を舞台にしてるんだ。
この歳になって実感するんだが、僕はこの人にかなりの影響を受けている。


今読み返しているのが「天の瞳」というシリーズ物で
こないだ出た最終巻もあわせて9巻のもの。
僕は基本的にあまりシリーズ物は読まなくて
本を読むペースが決まっていないというのもあるし
文庫本一冊くらいな2時間くらいで大抵読めるから、映画と同じようなスピード感で楽しみたいという理由もあるんだろうけれど
上に書いた「こないだ出た最終巻」というのが
実は灰谷先生の遺作で、だから残念ながら完結はしていないんだけれど
なに!?遺作だと!?あれの続きがあるだと!?読むしかない!!!
となったのが確か夏休み中のこと。
どれだけ読んでいないかがよくわかる(笑)


で、影響を受けたということに話を戻すと
今改めてこの本を読み返して感じるのは
「ああ、この人の理想像というものに少なからず僕は近づこうとしていたのかもしれない」ということ。
学校生活だったり、中学受験の目標としていた学校だったり。
この本で暗に言われている理想と同じような理想を自分が持っていたのかもな、と思った。



ただ、けれども。
今成長した自分がこの本を読んで
「これは違う気がする」と思うことがある。それも所々。
灰谷さんの小説の中で暗に語られる教育論的なものに対して
世間では賛否両論あるらしい。


特にデビュー作である「兎の眼」という本に関して。
ちなみに僕はこの本が初めての灰谷経験だったので
かなりの「兎の眼」信者であることは間違いない気がする。
昔は、なぜこれに対して批判が出るのかよくわからなかったけれど
今の自分ならすごくよくわかる。
矛盾しているようにも思うし、明らかに間違っている部分があるとも思う。



前も書いたかもしれないけれど
こうやって自分が前と違う意見を持っている
ということが発見できることが嬉しい。

感受性の反応する全てのものは
人間の中身に対応する物差しになりえると思う。
進化であれ退化であれ、それはそれで成長なんだろう。
自分がこれからどういう人間になるかはわからないけれど
わからないということがわかっただけでも
それもそれで成長だと思うし。





次の日記にも書くかもしれないけれど
僕はとても強がりで臆病者なんだ。
それを最近すごく実感してる。
強がりだから自分と向き合うとへこむし
臆病者だから自分の正直な気持ちと向き合おうとしない。

それなのに一人の時間がけっこう多いから
なんだかつまらない妄想とかで落ち込んでることが多い。

確かに自分と向き合うことは大切かもしれないけれど
誰かと会って話をすることも大切なことだと実感した。
自分と語りあうだけだと、1つの考えをつきつめていくだけだけど
誰かがそこに他の道筋を示してくれることで
なんだか救われた気分にもなるんだと思う。

でも、まだまだ臆病者だし
リスキーなことをしたがらないように
自分に歯止めをかけようとする部分がすごくある。
それは自分が強がりだからだと思う。
自分はすごく弱くて臆病だってことを知ってるのに
普通に色々なことを思っているのに
それを気付かれたくなくて
気付かれたうえで知らん振りとかされたくなくて
だから強がってしまうのだと思う。

甘えるのが怖いのかもしれない。
だれか甘えられる人間を見つけると
依存したがる部分があるから
継続する甘い要素を見せたくないのかもしれない。
でも見せることも大切なんだと思う。すごく思う。



そんなことを考えつつ寝ようと。

リピッツァーナの枕こそ


フュージンスキーのギターはなぜ、ダブルネックなのか・・・
なんとなく気にはなってたんだが特に調べるわけでも無く。
先ほど動画を見ていてその謎(?)が解けたよ!
なんと、片方のギターがフレットレスだったよ!
なるほど!・・・いぇあ、それだけ。それだけ。
でもこれで納得。アーミングだけにしては奇妙な音使いだと思ってたんだ。



しかしなあ、上原ひろみの演奏はいつ見ても楽しい。
こうやって表情豊かに音楽を奏でることが出来る人は素晴らしい。
(ブログ見てたら、「白熱しすぎてピアノに頭ぶつけた」みたいなこと書いてあったwwwそこまで熱中できんのすごいなあとか思いつつ頭おさえた写真が可愛いとか思っちゃうw)

6歳でピアノ初めて10年後にはチックコリアと共演だもんなあ。
そもそも8歳でオスカーピーターソンに熱中するって、どんな子供だったんだろ。
大学中退して、ヤマハの奨学金使ってバークリー行って
そんでジャズ科と作曲科で主席で卒業。なんかなー。
きちんとやってるからこそ楽しくできるんだよな。

上原ひろみは、たとえばそれがhiromi's sonicbloomだったとしても
頭の中で鳴ってる音を全て譜面におこして、各楽器用の練習用テープも作ってくるんだそうな。
そりゃあ小学生にして「踊るポンポコリン」を編曲しちゃう人だもんな。
しかしすげえなあ。きちんとやってんだなあ。だから楽しいのかな。


自分で曲を作ったときに譜面におこす一番の利点は
後になってからでも、その時作ったフレーズを客観的に眺められる点にあると思う。
物を作るときに大切なのは、もちろんその結果だけど
そこにいたるまでのプロセスも同じくらい重要かなと考えたりする。



過去の自分を客観的に見ることって
すごく難しいことだと思うんだよなあ。
しかもそれを「後悔」と見なして
あえて目をそむけようとする人もいるし。

それが出来るようにするために日記をつけてるんだ。
ネット上の日記では、その時に自分が何を考えてたのかっていうことがわかるようなことを中心に書いてる。
だから昔つけた日記を時々見返してるときもあるんだ。
アホなこと書いてんなーって思うことが多いけど
知らない間に忘れていっちゃうんだろうかね
「あーこういう考え方もあるかいな」てなことを思うときも稀にある。

おもしろいよねー
例えば人間の身長って成長期だとただただ伸び続けていくだけだけど
人間の中身って紆余曲折を経てどこかに行こうとしてるからさ
一概に「成長した」って言い切れない部分があるんだよなあ。
昔よりも確実に衰えを感じる部分があるし。
それは例えば制限の無い無責任な想像力だったり。




まがりくねった内容だなあ。

でもなんだか眠いしこれでおしまいにしとこう。

月の寝る雲、針の海

大学生になってから、いきなり「飲むか」みたいになることが多くなった気がする。
てなわけで12時過ぎくらいに帰ってきた。やはり家が近いと便利で良い。


将来像というものを考える。どんな形のものであれこれが中々難しい。
それが、俺だから難しいのか自分自身のことだから難しいのか。わからん。

例えば、今日飲みの席で言われたはなし。
「彼女がいる姿が想像しづらい」
うーん・・・確かに。
自分に彼女がいたとして、街中なんかを肩並べて歩いてる姿。
だめだ、全然想像できない。
想像するためにはもう少し現実味が必要かな(笑)

あとは、昔からよく考える「自分の働いてる姿」
職業から勤務態度まで何も想像できない。
そりゃあ大学一年生が何を想像できるのかって言われるかもしれないけどね
なんとなく自分が思い描く理想像ってのがあってもいいし
それを自分の将来像として頭の中で動かすことだって出来るはずだろう。



人間には目標が必要だと思う。
目標の無いままに我武者羅で突き進む人がいたとしても
突き進んだその先にゴールが無ければ、果たしてその人は「進んだ」といえるのだろうか。
漠然とでもいいから、なにか光り輝く目標が欲しいと強く思う。
出来れば明確なほうがいいけど。なるべく遠回りはしたくないから。

今の自分は、目標を見つけることが目標になっていて
だから毎日がとても空虚というか、なにか違う気分。

理想を持つことで設定できる目標がある。
それを考えながら過ごす生活は、とても実りがあるんだろうなあ。



かといって、自分の未来を空想しないわけでは無い。
けれど幾通りもの自分を想像してしまうことで
それが現実じゃないことをはっきりと無意識ですら悟ってしまう。
現実味を帯びた理想なんてのは大した目標になりはしないのかもしれないけれど
それでも空想に成り果てた未来の姿なんかより幾分か良いような気はする。

別になんだっていいんだよ。



と、ここまで書いて
そう考えると昔よりかはマシになったなと思った。

いつの間にか目標値を設定する癖がついたのかな
ギターだとか勉強だとか、なんとなく目標にしてる地点はある。
いつからだろう、そういうことをするようになったのは。
ああ受験か。受験勉強をするようになってからだ。

受験もマイナスばかりじゃなかったんだな。
あの頃は自分の嫌な部分ばかり見えてて
本当にいつも死ねる気分だった。




でも、そういう単純なはなしじゃないんだよな。
あくまでそれらは単なる1つのステップであって
もちろん1つ1つのステップがあるからこそ階段は出来上がるんだけど
それの先、階段を上りきったあとの姿を見たいんだ。

今築き上げていった物があわさって、将来的に何が出来上がるかを考えるんじゃなくて
将来こういう風になりたいから、今はこれをしなくちゃいけない。それの次はこれをしなくちゃいけない
っていう風に考えていきたいんだ。
全ての小さな目標を通過点として見たいんだな。

つまり長い目を持つってことが必要なのかもしれん。





長い目をもったところで彼女は出来ないし仕事に就けるわけでもないんだけどね。悲しいね人生。

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