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現実は単なる二度寝の夢

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眩しさ


いつからだったか覚えてないけど、そう昔からじゃないと思う。
やたらと顔が赤くなりやすいのだ。

少し恥ずかしいだとか、少し暖房がきいているだとか
普段生活していれば大して気にしない程度の物事に敏感に反応する。
例えば、授業中に先生にあてられるとかその程度。

自分で恥ずかしいと思ってもいないのに
勝手に顔が真っ赤になって
それを周りの人間が気付いてるということに対して恥ずかしさを感じる。
個人差、というものがある以上これは自分のどうしようもない部分なのだと思っていたが
いつもいつも恥ずかしくて、本当に嫌だ。



昨日たまたま見つけた「赤面症」という言葉。
色々と調べてみたら、自分にぴたりと当てはまった。

コミュニティを覗いて色々な人の話を見たけれど、共感できることばかり。
冬はすごく暖房がきいている所が多いので嫌になるとか
恥ずかしがっていないのに周りに勘違いされるのが嫌だとか
顔が赤くなっていることに気付いてさらに赤面する悪循環だとか。



元々そうだった人よりも、ある時期から急になる人が多いみたい。
一番上に「そう昔からじゃないと思う」って書いたけど
僕自身高校生時代はそこまで気になる程度じゃなかったように思う。
もしかしたら時々気にはなっていたかもしれないけれどあまり記憶に無い。
とにかく、完全に意識するようになったのは大学に入ってからだろう。



分類としては対人恐怖症の一種らしい。
赤面する自分を他人の前にさらけ出すのが嫌だという。
一見対人関係が良好そうな人でも
深層心理で人間関係を怖がっている部分があるそうな。

別のところで書いたが
僕は僕自身の「無意識」というものにすごく興味があるので
こういうことを知ることができたのは本当に良かったし
それとは別の意味で、自分と同じような経験をしている人がたくさんいることで安心した。本当に。

自分のことを考えてみると
人と接することにたいして怖さというものを自分では感じていないつもりだけど
顔が赤くなっているときは、あまり人前に出たくない。本当に嫌なのだ。
それを重たく捉える人は、たしかにそれが原因で人前に出ることが怖くなってしまうかもしれないなとも思う。



治療法とかも色々とあるみたいだけど
僕は何もしないつもり。
確かに恥ずかしいけれど
これは自分の個性として
本当に我慢できるところまで持っていく。

幸い僕の「意識」は人と接することを求めているから。
それが「無意識」に負けそうになったときには
そしてもうどうしようもなくなったときには
何らかの対抗策は考えるつもりだけれど。




ずいぶんと前から考えていることだけど
病気はある種の個性なんだと思う。
例えそれが貧血だろうと癌だろうと
それはその人の個性のひとつなんだと思う。

世の中で言われてる病気って言葉も曖昧なものだ。
広辞苑で【病気】をみると
「生理状態の異常」「諸種の苦痛」とある。
まあ【生理状態】ってのも不確定な言葉だとおもうけど
つまりは「普通じゃない」ってことでしょう。

それってなんだか個性と同じ雰囲気。
病気は個性だし、個性は病気なんだ。




ブサイクってのは個性のひとつ。
それをお笑いで生かすのは個人の自由。
もちろんそれを貶めることでブラックな笑いをとる人もいるけれど
そういう種の人も、普通にテレビで放送されて、普通に笑いをとる。

じゃあそれを「身体障害」でやったらどうなるだろうか?

実際にそういう人がいた。
そのマイナーな芸人のネタがyoutubeにあってそれが発端となって
その芸人にはとても大きな非難が浴びせられたわけだ。

ブサイクも身体障害も、個性であることに違いは無いと思う。
けれどその一方は無暗に触れてはいけない「タブー」らしい。
その違いはいったいどこにあるのだろう。境界線は何なのだろう。
(まあそのマイナー芸人のネタに関しては、驚くほどおもしろくなかったから批判対象になったのかもしれないけれど)

病気かどうかって境界線の1つは、「日常生活に支障をきたすかどうか」らしい。
でも、いやそう考えてこそ、ブサイクってのは先天的な病気なんじゃないだろうか。
恋愛も出来ない、結婚もできない。場合によってはコミュニティの中で阻害される。
程度による?ほとんどの病気がそうじゃないだろうか。

と書いても別に本気でブサイクが病気だと思っているわけじゃないよ。
これらは単なる屁理屈。
でも屁理屈も理屈なんだよなあ。なんてね。これこそ屁理屈か。




自分を形成したのは周りの環境だ。
遺伝子によって未来は決定付けられている~みたいな話は
まあ多少は信じているんだけれど
やっぱり最終的に自分を作り上げたのは
これまで自分が生きてきたなかで触れてきた環境だと思う。

親の教育、周りの友達、指導者の声。
家の場所、主な通信手段、移動方法。
そういった1つ1つの物事が今の自分をつくりあげてきた。


「病気」を定義するときに、相対的に「普通」に位置するものを探さなくてはいけない。
それは今自分達がいる社会だろう。
そう、自分を作り上げたこの世界が「普通」なのだ。

普通の世界が作り上げた結果普通じゃない自分が出来上がってしまった。
それを嫌だと思って「普通」の理想像へと近づけようとする。
治療ってそういうことだと思う。

もちろん害があるから治すんだよ。
それを少し遠回りに言葉をつなげて言っただけ。




で、僕は自分自身を見て思う。
確かに今の状況はすごく嫌なことで
これが解消できるならばしたい。
これが無くなった姿は理想像と呼んでも良いものだ。

けれど。
例えば薬を使ったりカウンセリングを受けたり
入院をしてまで僕はこれを治したいのか。
その過程を自分は「何として」受け止めるのだろうか。

普通に考えれば「治療」だろう。
だけどこいつを「病気」としてネガティブなイメージで受け止めたくない自分がいることも確かなんだ。
忌み嫌うべきものだし消えてもらいたい。
けどこれを「治」さなければいけないものとしてとらえたくない。

単なるニュアンスの問題だ。
自分の中では2つとも似たような意味 は、もたないけれど
似たような感覚ではある。
でも、だからこそかもしれない。

僕はこれを「個性」として尊重したいと思う。


理想像が結果だとして治療が過程だとすると
その別々の場所にあるものを同じ天秤にかけることはとても難しい。
だからこの先考えが変わることも、あるかもしれない。
でも今の僕はこう思う。これまで生きてきて、周りと触れ合って形成された今の僕は、こうやって思う。
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