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現実は単なる二度寝の夢

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ほらほらー、くるくるる

幽霊の話。

とは言っても季節はずれの怪談、では無く。
最近思ったのが「人間は人間のことを思うから、幽霊は生まれるのだな」ということ。
答えの出ないことをぐるぐる考えるのは人間の性なんだろうけど
誰かがその答えを仮定(もしくは定義)して、また誰かがその答えを検証して、議論になって
っていう流れが時には文化を作り出したり
その一方でずっと誰かの勘違いを根本的な部分に抱えたまま考えを進めたり。

根本的な勘違い、を抱えた定義。例えば「死ぬ」こと。
そもそも「死」ってなんだろうか。
「生」の反対、って本当だろうか。
そこに存在しないものに名前を付けることって出来るんだろうか。

空っぽの意味を置いたままにしておけないんだろう、きっと。
これが勘違いだっていうことすら僕の勘違いかもしれなくて
こういった形で「答え」を知ろうとするのも大きな矛盾を抱えてる。よね。


幽霊に形は無く(と、僕は仮定している)それなのに人間はその存在を忘れることが出来ず
肯定するにしても否定するにしても、好きだろうと嫌いだろうと、話をするにも聞くにしても
その話から逃れることはできない。
フォルダ分けをするとしたら、「根本的な勘違い」というのは
幽霊の存在の有無についての議論よりひとつ上の階層にある。
そしてそれについて話をするって、とても楽しいことだなと思う。とにかく気楽だからだ。
答えを誰かに強制されることも無く、自由気ままに妄想するのは無限の広がりを見せる。

根本的な勘違いは、ちょっとした見方の違いで発見できる。
ただそれが意外と難しい。地球だって地平線を見れば平面にも見える。
それを発見できる人であったり、そんな突拍子もない角度からの視点を楽しめる人は
すごく得をしてる。

何かを仮定することと、それ以外の答えを拒絶することは違うと思う。
だからこそ、自分の持っている答えとは違う答えを受け入れる心を持っている人は
それだけで人生に大きな影響を与える。


そういえば、今『鈴木先生』というテレビドラマの再放送がやっている。
このドラマを見ていて大きな衝撃を受けた。
コンドームについて自分が考えていたことに、違う見方を与えてくれたからだ。
それに関して僕は何も考えず、世間一般で言われる普通の定義しか持っていなかった。
それを覆してくれたのは大きく、そこからいろいろな考えが広がったのは楽しかった。
今週がちょうどその会だ。やっぱり面白いなー。

これについて話をしたとき、全く受け入れる姿勢を見せずに
とにかく頭ごなしに否定してしまう人がいる。
性行為とか妊娠や結婚、恋愛はやっぱり刺激的な話題だし
多くの人がそれぞれについてけっこうしっかりとした定義を持ってる。
しっかりした定義だからこそ、それを崩すのは怖いのは当然。
だけどそういうものを受け入れることが出来たらきっと楽しい。
何か1つを崩す(本当は崩す必要も無いんだけど)だけで、自分が壊れることもあるまい。



で、こうして一睡もしてない状態で書く文章ってやっぱりごっちゃごちゃになるねという話だった。



可愛くて音楽も良い感じなので、気になる。computer magic。
来日ライブやるらしい。あれ、もうやったんだっけな・・・?
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